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ホリエモンVSフジテレビも一段落したので、ここらで一つ書いておこう。

①「ホリエモンは放送+通信の融合についてビジョンが曖昧」という批判について
確かに、ホリエモンは「通信と放送が融合したら、おもしろい」という程度のことしか述べていないし、「インターネットが、いずれ放送を食ってしまう」というのも、誰しもが予期するところだ。実際、ライブドアがフジテレビと結びついたところで、現段階ではコンシューマ全体には大きな変化は無い。ホリエモンのビジョンが曖昧だったのは当然で、現段階では「みんなが、想定範囲のことが実現する」程度だろう。ホリエモンにそこまで期待するのは、酷である。


ホリエモンの「フジ買収企て」の評価は?
となると、今度のホリエモンの動きは、どのように評価されるべきか。
評価視点は3つ考えられる
A:メディアの視点
B:経済の視点
C:社会の視点

A:①とほぼ同義だが、「インターネットと放送の関係性」を明るみに出したこと。テレビとインターネットの違いだけではなく、「テレビの力は依然大きいが、インターネットがそれとは別の次元で力を発揮しており」、その関係がよく見えてきたことだ。ただし問題なのは。このAの視点が「騒動の本質的争点」だが世間的にはよく理解されずに終わっている。もちろん、インターネットの世界では別だが。恐らく、何年か後には、メディアは「ホリエモン騒動以前:以後」を境とする変化を遂げる。

B:これが最もわかりやすく、広範に形成された文脈だ。「M&A」という経営手法に注目が集まり、ビジネスの世界でも、「明日は我が身」とばかりに情報収集〜吸収が行われている。あるいは、日本型資本主義の終焉を告げるものとして、広く理解されたのかもしれない。「日本に無いのは経営だけ」だとするならば、これもまた「経営の必要性」を示す一つの事実となる。

C:社会的な視点では、実に多くの問題が噴出した。「ホリエモンというキャラの好き嫌い」〜「若手VS老人」「ニューエコノミーVSオールドエコノミー」のようなところまで。この問題は全ては、「社会的合理性をどこに見出すか」という問題につきる。ホリエモンは「テレビ局が今のままでは、社会は合理的なのか?」という課題を提出したわけだ。そのような「大それたアクションを行うキャラ−ホリエモン」への批判や歓迎を含めて、話題化された。「将来を考えたときの合理性」については、答えは自明だ。