「器用さ・不器用さ」

以前から気づいていることだし、みんなが気づいていることかもしれないが、時々「不器用さ」が誉め言葉になることがある。

曰く、「●●●は不器用な奴だ、だけど、奴の▲▲▲への思いは・・・」というような言葉。主に、年長者が年下の者、あるいは後輩に向けていう言葉だ。あるいは、女性が男性に対して「母性」を感じたときに言う言葉?

さっきも「情熱大陸」で「20歳の俳優・森山未來」について、そのような人物批評がなされていた。

だが、翻って見るに「器用な奴」など居るのだろうか。

なるほど、私も20前後には、人並みに、「自分に不器用さを感じたり」「他人の器用さにコンプレックスを感じたり」という事はあったし、友人たちとそのような会話をしたこともある。

しかし、今周囲を見渡しても、「器用な奴」など居るようには思えない。多芸な人間を「器用」というのだろうか、「世渡り」がうまい人間を「器用」というのだろうか・・・。確かに、「多芸な人間」は居るし「世渡りがうまい人間」も居るし、知っている。だが、彼らを器用というのとは、ちょっと違う。

また、「器用な人間」というのが、イコール「成功者」ではないし、「器用貧乏」というほどな人間も、そうはやたらに居ないことも、明らかだ。


こんな風に思うのは、世の中が変わったからなのか、私が歳をとったのか・・・いずれにしても、問題設定の変化に気づく今日この頃。