「尊厳」の問題

ニクラス・ルーマンは、『制度としての基本権』の中で、以下のように記述している(木鐸社、P101、133)。

制度としての基本権

制度としての基本権

  

 自己の尊厳が喪失された場合、それに対する自然な反応は、従って、当事者が社会的交通から自らの人格性を引き上げてしまうことである。そのような場合、彼は自らのコミュニケーション的活動をとりわけ同様の状況にあるパートナーに限定し、狭いサークルの中で、特殊な表出条件の尺度に従って自らの尊厳の回復に努める。彼はコンタクト選択の自由を断念し、自らの自由を、いわば自らの尊厳にふさわしい程度にまで引き下げるわけである。彼は家庭において休養する。尊厳喪失という状態は、しばしば、花柳界というエキセントリックなサークルへの通路を彼に開く。この世界はコンタクトの限界を制度化することによって、そしてまた言語や身振りに風変りな行為態度様式をもたせて貫徹することを通して、破綻した実存に新たなる尊厳を与えることができるのである。

 喪失された社会の中での自由が社会からの自由として静態的モメントとして形成されていくということは、十分に特徴的なことであり、このサブカルチャーの補償機能を明確に表現している。


下記URLの議論の捕捉となるか?
http://www.hirokiazuma.com/archives/000434.html